2010.01.02
寅年を迎えて、満を持してかみさんが出してきた大皿です。
古伊万里?あり得ませんか(笑)
もしかして志田焼の虎図竹林かもしれませんね(笑)
元々は親戚の蔵にあったもったもので、僕の叔母さんは、全部捨てようとしてた(笑)
押しとどめていただいたのですが、一緒に保管されてたものは江戸末期安政年間のモノだったので
それなりに古いものであることには間違いないのですが、普通に使ってた食器でしょうね。
中島誠之助先生に見せると「いけませんねぇ~」と言われそうです。
いいんです。家に飾って楽しみますから。
今年のお節は豪華です。「なだ万」です。しかも、いただき物です(笑)
名古屋から帰省する義兄さんに頼んであったのですが、代金を取っていただけなかった。
ありがたく、ゴチになります。
それぞれの丁寧な味付けに感動しますが、こんなゴマメは初めてです。
「クローン・ウォーズ」のバトルドロイドのように並んでます(笑)
あとは雑煮があれば十分です。
うちの雑煮は白味噌、丸餅、鰹節だけです。貧乏なので(笑)
ある意味、ごまかしの効かない雑煮です。
それにしても、この鰹節は素晴らしい(自画自賛)
さぞ、立派な職人が削ったものに違いない!(違)
今年は寅だ!寅年になるのだ!(ちゃっちゃっ、ちゃららちゃちゃーん♪)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
以前は、俗称ヘビの穴と言われていたビル・ライレー・ジムに所属していましたが(嘘)、
そんな僕も年男です。ようやく36歳です(嘘)。アラフォーです(嘘)。
僕は寅年の獅子座生まれですが、肉球はありません(本当)。
頭だけ寅で、体は人間ですから(寅人か!嘘に決まってます)。
そう考えるとグインってのは豹人で鳥人の先駆けみたいなもんだなぁと、元旦からバカな
ことを考えています。ガッツ団ブログ並みのゆるさです(苦笑)
でも、地デジカを達成した僕は、昨年までの僕とは違います。
今年は頑張ってブログ書きますので、どうぞよろしくお願いします。
末筆ながら皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
2009.12.31
大晦日です。今年も色々ありました。悲しいこともたくさんありました。
でも、それは今年に限ったことじゃありません。
いつだって悲しいことや苦しいこと、悲惨なことは繰り返されてきました。
だから世の中が狂い始めたのも1984年に限ったことじゃないし、現実は小説より不可解です。
大切なのは、それでも何とか生きていかなくちゃ。ってことです。
僕たちはジョン・レノンもジョン・ベルーシもオーティス・レディングもマーク・ボランも、
サンデーサイレンスも倉森勝利も清志郎もトノバンも、いない世の中で生きていかなくちゃならない。
でも、このボスの傍らにマイアミがいるように、信じられる仲間がいればやっていけます(^^)
たとえ、”even if we’re just dancing in the dark”だとしてもね。
(↑あ、even ifと被ったか・笑)
じゃ、こんな調子ですが、来年もよろしくお願いします。
年末に訳あって鰹節を買いました。理由を書くと長くなるので書きません(笑)
はっきり言えることは、これは僕なんかには、かなり上等なものだけど、お金はほとんど払ってない
という事と、こんなもん買ったのは初めてだと云う事です。
本枯鰹節です。上の小さいのが腹側からとれる「雌節」。大きい方は背の部分からとれる「雄節」。
一匹の鰹からは雄節が2つ、雌節が2つ、合計4つの鰹節がとれます。
白っぽい粉みたいなのは、カビの類です。もう要らないので歯ブラシとかで掃って落とします。
さて、これで、あとは削るだけです。
鰹節を削るには、カンナを逆さに置いたような箱型の削り器が必要です。
僕も子供の頃に削ったことあるし、実家にはあるはずなんだけど、あれは難度が高いです。
カンナの刃の部分は、極力薄く出すのですが調整も難しいし、木で出来た箱は虫に食われます。
削ってても、鰹節の削り粉なのか虫なのか区別がつかない(笑)
でも、とりあえず削り器は必要です。そういう訳で削り器を購入しました。
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2009.12.30
今年最後の時代屋に行ってきました。
久々に食べたピッツァは抜群に美味しかったです。
トリュフもタントな感じで。
問題は、またとんでもないアイテムが増えていたことです(笑)
ぎゃははは!(笑)すげー。
写真でこの素晴らしさが伝わるかどうか疑問です。
文字で書けばジャイアント・オマール・ロブスターの彫金飾り蓋が付いた小判型シルバー盛皿(笑)
金属彫刻家、フランコ・ラピーニのハンドメイド。フィレンツェ伝統の手工芸の継承です。
ヒゲとかハサミが尋常じゃないです。笑えます(笑)一見の価値はあります。
地デジ導入の際に嬉しさにかまけて忘れた存在がありました。
それがBS見てたらいきなり現われました。B-CASです。
・・・出たな、悪党!
正式には株式会社ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズって言うらしい。
この法治国家である日本において2大カスと云えば、カスラックとBカスのことです。
間違いない。
詳しい説明は面倒だから、ご存じない方は、こちらのWikipedia でも見てください。
如何に不当で不公正な存在かが解っていただけるかと思います。
カスラックにしても、Bカスにしても、公然たる独占禁止法違反なのに看過されている節があります。
また、真っ当な形で権利者に利益が渡るのであれば、僕は消費者の立場から賛成しますよ。
誰が甘い蜜を吸ってるかは知りませんが、まず最初に利権ありき。な印象を受けます。
地デジ専用B-CASカードのユーザー登録制度は2010年3月末で廃止されるそうです。
単なる思い付きで始めたことの責任を誰も負わないのが気に入りませんが、まぁよしとしよう。
エコポイント制度の改変時期と重なって色々錯綜するかと思いますが、胸クソ悪い制度なので、
避けたい方は来年4月以降に地デジカすると良いと思います。
まだ油断は出来んけど、とりあえずBカスは公正取引委員会の更なる活躍に任せよう。
次はカスラックだ。頑張れ、ファンキー末吉 。平沢進も頑張れ!
ほんま公取に独占禁止法違反を認定されたのに従わないくせに、なんで社団法人なんだ?
2009.12.29
こちら「月刊きらめき倶楽部 」。(株)中広 さんが発行されております。
地域みっちゃく生活情報誌だそうです。地元の人間も知らない敦賀のことが載ってます。
そっかー、今時、田舎でもこういう情報誌ってのもアリなんだなぁ。という気にさせられます。
おっと、重要なのはそこじゃなくて、巻頭特集「敦賀×まちの元気人」で、じょん。さんが
紹介されています。日頃から色んな情報にアンテナを張り、メッセンジャーとして発信して
いこうと云う姿勢に頭が下がります。こういう方が僕の3つ上におられることは、心強いです。
まぁ、僕が敦賀で数少なく「おもしれー」って思うことは、大体じょん。さんの世代の方が
種を蒔いてくれた事に起因するのがほとんどですけどね(笑)
こちら「タムキチ 」。(株)創広さんが発行されております。
敦賀に根付いたタウン誌です。くだらねー。と思いながらも欠かせない情報誌です(笑)
おっと、重要なのはそこじゃなくて、巻頭「街ネタ」の最初で「うぇる珈夢ライブ 」が紹介されています。
今回で10回目となるこの企画の主催者は、じょん。さんです。敦賀を席巻してますねぇ(笑)
僕は、行けるかどうか微妙なとこですが、素晴らしい空間であることは保証します。
おいしい珈琲なんかも楽しめます。もしかすると素晴らしいお米に出会えるかもしれません(意味不明)
時間が許す方はぜひ足を運んでみてください。僕の気持がわかっていただけると思います。
2009.12.27
「ここでは競馬の話は書かないことにしました」と云った舌の根も乾かないうちに・・・。
ハトと呼んでください(苦笑)
これは時事ネタで、競馬ネタじゃないんです。
日本の首相が「あれは政治献金じゃなくて贈与だから修正申告します」ってのよりは、
マシだと思いますww
で、普通に考えれば、
◎ブエナビスタ
○ドリームジャーニー
▲フォゲッタブル
△スリーロールス
こんなもんでしょうか?まぁ、これでもイイ線いってるかもしれません。
でも、僕としては、ひねりが欲しいと思います。
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2009年8月6日、石塚武生氏、逝去。
この訃報は、目の前が真っ暗になるような出来事でした。
死因は突然死症候群。・・・何だ、それ。そんなの、ありか?
僕がラグビーに魅せられたのは、石塚武生という選手に魅せられたと云っても過言ではないです。
当時、僕にラグビーの素晴らしさを教えてくれた選手は、既に亡くなられた宿沢広朗さんの他、
藤原優、植山信幸なんて選手がいましたが、まず一番に石塚武生。何が何でも石塚武生。
写真はウェールズ戦でJ.P.R.ウィリアムズに強烈なタックルを決めているものですが、
この試合で石塚がJ.J.ウィリアムズを仕留めたタックルは、35年過ぎた今でも語り草です。
最初の骨折から退院後「痛みに負けてはいけない。走って治そう。」と練習を続け、
疲労性骨折で再入院した話も有名です。そういう人です、石塚さんは。
誰だって石塚武生について語ろうとすると涙が出そうになるのです。そういう人でした。
近年は、こちらのブログ にもあるように少年や高校生の指導に尽力されていたようです。
石塚さんの荒ぶる魂は、ここに安らぎを得ましたが、あのがむしゃらな生き様は多くのラガーに
伝わっている筈と信じます。
僕にとっても、フランカー7番と言えば石塚武生であることは、一生変わりません。
謹んでご冥福をお祈りします。そして、本当にありがとうございました。
2009.12.26
「運命の子―グイン・サーガ#129」
栗本薫は、オタクがオタクと呼ばれてなかった頃の時代の寵児だったのかもしれない。
彼女の持ち合わせていた感性は、そのジャンルのオタク(もしくはフリーク)が欲していた
ニーズと見事にマッチしていました。
いや、彼女の興味あるジャンルにおいて、彼女が提供した作品群は、当時ニーズが高かったと
言うべきでしょうか。
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