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2010.05.26

こんばんは、ラッシャー木村です


本当は僕が弔意としてこの記事を書くのは間違っているのかもしれません。。
基本的にプロレスラーは引退のテンカウントを聞いた翌日から一般人です。
すべてはファンの夢を壊さない為に。そして、それがプロレスラーとしての気概。
晩年、国際プロレスの仲間の見舞いを断ったのも、ラッシャー木村の気概でしょう。。
ただ、訃報を伝えるメディアの記事は「必殺技はマイク」とか「金網の鬼」とかばっかりで、
さすがにこれでは氏も浮かばれないでしょうから、ここに記事にします。
ラッシャー木村は、IWA世界ヘビー級王者であり、AWA王者ニック・ボックウィンクルとすら
互角に渡り合ってます。彼は試合ではその片鱗すら見せなかったけど正真正銘のサンボマスター
であり、師はビクトル古賀。直伝。形だけの馳浩は愚か、タイガーマスク(佐山聡)や
ケンドーカシン(石澤常光)ですら目じゃない、サンボマスタープロレスラーの第一人者と
云えますね。そして、ラッシャー・スープレックスと呼ばれた(呼ばせた・笑)
ダブルアーム・スープレックスは、ビル・ロビンソンの指導を受けています。
こういう事実を単に並びあげただけで、どれだけ凄いことか解る人にはすぐに解るし、解らない
人は一生かかっても解らないだろうから、あんまりクドクドと書きません。
ただ、ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」をギャグにした時に、笑いに
温度差があったと僕は思っています。一般的には屈強なプロレスラーに似合わないフレーズとして
ギャグが成り立ってますが、国プロ時代の鬼神のようなラッシャー木村を知っているからこそ、
「こんばんは、ラッシャー木村です」の落差に大笑いが出来たのです。
実際、一般人には、その落差の知識がないことに、ビートたけしも気づいてないかもしれません。
でも例え無意識であっても、あれはビートたけしの根底に潜むラッシャー木村への敬意です。
その後の氏の辿った道に僕は興味がありませんが、少なくともUWFの時は新間に騙されたと
僕は思ってるし、マネジメントする人間に恵まれなかったんだろうなと推察します。
でも、馬場・猪木・小林・木村と並び立った時代の氏はストロングスタイルでした。
改めて氏の活躍に感謝の念を込め、ご冥福をお祈りします。